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覚悟するのは簡単だった
夢がそこにあったから
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2003年2月3日付朝日新聞より
砕かれた 7人の夢
クラークさん いとこはテロの犠牲
チャウラさん 保守的な風土と闘い
宇宙飛行士7人の命が空に散った。米スペースシャトル・コロンビアの惨事から丸1日が過ぎた。出身地の米国、インド、イスラエルでは遺族や友人が悲しみに沈んだ。米テキサス州では機体らしき破片の回収が続く。悲劇を世界が悼んだ。
コロンビアには2人の女性が乗り組んでいた。
その一人、海軍中佐(軍医)のローレル・クラークさん(41)は、世界貿易センタービルで働いていた、いとこのティム・ハビランドさん(当時41)を、一昨年の同時多発テロで失った。ティムさんの父親のダグさん(76)は1日、アイオワ州の自宅で、テレビが繰り返す空中分解の映像に「最悪の光景の再来だ」と悲しんだ。
米メディアによると、クラークさんとティムさんは幼いころ、兄妹のように育った。ティムさんは生前、「打ち上げの時は発射台に見に行く」と楽しみにしていた。
クラークさんは、息子を失って落胆するダグさん夫婦を励まし続けた。事故の数日前にも、夫婦のもとに宇宙からメッセージが届いた。「生まれ故郷のミシガン湖付近の美しさに感動した」。そう伝えてきたという。地元新聞のインタビューにも応じ、宇宙で見る夕焼けについて「これほどのバラ色は見たことがない」と語っていた。
夫と8歳の息子が残された。
もう一人の乗組員、工学博士のカルパナ・チャウラさん(41)はインド北部ハリヤナ州の小さな町で生まれ育った。義兄で、チャウラさんが卒業したパンジャブ工科大の先輩、アニール・ナグパルさん(45)は1日、「女性の進出に保守的な風土で、飛行士になることに一時は家族も反対した。だが、奮闘を続け、みんなに喜びを与えてくれたのだが……」と嘆いた。
幼いころから飛行機が大好きだった。大学で航空工学を専攻しようとしたが、女性の前例がないため大学側に難色を示され、「認められるまで待ち続ける」と粘って希望をかなえた。結局、トップの成績で卒業した。渡米後、結婚して米国籍を取得。94年に応募者4千人の中から19人の宇宙飛行士候補に選ばれた。
初飛行は、日本の土井隆雄さんも一緒だった97年。そこでミスを犯す。ロボットアームの操作を誤り、船外へ出した衛星を回収できなくなった。土井さんが予定にない船外活動をして回収したが、「もう次はない」と落ち込んだ。
しかし、くじけなかった。努力を重ね、今回、2度目の宇宙に向かって行った。
パジパイ首相は1日夜、ブッシュ米大統領に哀悼の念を表明した。故郷の村では、大勢の人が夜通し寺院の鐘を鳴らして祈ったという。
(ニューヨーク=福島申二、ニューデリー=竹内幸史)
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2003年2月4日付朝日新聞より
チャウラさん 志は残った
インドの母校 記念賞を創設
NASAに後輩招待 夢伝えて
【ニューデリー=竹内幸史】米スペースシャトル・コロンビアに搭乗していたインド出身の女性飛行士、カルパナ・チャウラさん(41)は母校の後輩らを世話する篤志家としても尊敬を集めていた。航空工学を学んだ母校、パンジャブ工科大には、後輩を思う遺志を伝えるため、航空宇宙分野の学生に贈る「カルパナ・チャウラ記念賞」は2日、創設された。
インド北部の母校や町役場では彼女の遺影を飾った祭壇が設けられ、3日も哀悼する学生や住民らの長い列が出来た。
インド紙の報道によると、チャウラさんはシャトルで初飛行した97年以降、毎年、出身のハリヤナ州の町カルナルのパブリックスクールから、2人の後輩生徒を米航空宇宙局(NASA)に招き、施設見学を世話していた。旅費などの多くも私費で負担していたという。
チャウラさんが飛行士になってから、インドの子供らの間で宇宙への夢が膨らんでいるのにこたえたものだ。
昨年8月に招かれた女子生徒、ナミータ・アルンさんは「自宅に招き、夫と一緒にインド料理を作って歓迎してくれた」と思い出を語る。また、チャウラさんは結婚後、米国籍を取得したが、「インドのことをいつも忘れないでいてくれた」という。
今回のコロンビアにも。母校のパンジャブ工科大の校旗を持ち込んでいたという。