「7・16ロフトプラスワンの血気」 |
---|
確かにプントには、多少血の気がありすぎる若者も多い。「正義感にかられて」とか「情熱のあまり」といえば聞こえはいいが、時として「純な若者の怒り」が爆発してしまうことがある。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で、「年少者はもろもろのパトス(情念)にしたがいやすいため」「政治学の適当な聴講者ではない」といっているが、耳の痛い話だ。「血気盛ん」というのは「レーニン主義」の言葉でいえば、自然発生性ということにもなる。もっとも、われわれは今や「レーニン主義者」ではないので、自然発生的といってもピンとこない若者もいるようだが、結局若者は、「人生の現実の実践」の経験に学んでいくしかないと、アリストテレスも言っていたな。
ところで、レーニン主義を標傍する某党派は、機関紙に「ブントがロフトプラスワンを襲撃したことについて」(山川メール)およぴ「ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明」なるものに依拠しただけの、ブントを「徹底的に断罪する」なる文章を載せている。断罪するのは勝手だが、この某党派の諸君達は、「ブントが襲撃した」とされる「佐藤悟志」なるものが、いかなる人物なのか知ってそうしているのだからタチが悪い。
7月16日にロフトプラスワンで行われた「飢饉・独裁・拉致・粛清、北朝鮮と『よど号』の現実」という、朝鮮民主主義人民共和国と朝鮮人民を誹譲・中傷することだけを目的とした企画の際に、佐藤自身がまいた自己紹介にはこうある。
「1965年横浜生まれ、戦旗・共産同中退後(秋の嵐)に参加。90年4・26『法務省突撃戦』、即位礼直前の11・3弾圧、12・24『クリスマス査問事件』などで逮捕。その後政治結社『青狼会』総統として反共突撃隊、第三憲兵隊、売春の自由党などを率いる。反天皇制右翼つまりファシストで、プラスワンから塩見孝也を逃亡させたアカ嫌いのオタク、従って共産主義者同盟・赤軍派の最終議長でもある」。なんだこりゃと思うのが真っ当な感性というものだ。しかも某党派の諸君達は、常日頃「差別反対、女性解放、中国・朝鮮人民との連帯」といったことを熱心に説いているのである。その論理から言えば、「反共突撃隊」「ファシスト」を公然と名乗る佐藤のどこが気に入ったのか。とりわけ某党派の女性メンバーは「売春の自由党総裁」を名乗る佐藤を許せるのだろうか。もっともわが派には女性党員は一人もいないとかいうのかもしれないが。
佐藤は、「北の危機は国家的サボタージュによるもの」と断言し、「北朝鮮に食糧援助をするな」と主張しているのである。「朝鮮人民の不倶戴天の敵」であり、「朝鮮人民にたいする日帝100年の歴史的血債にかけて糾弾」すべき対象ではないのか。まさに佐藤は「差別糾弾闘争」の対象の筈なのだが、まるでスターリンとヒトラーの連合のようなことをやっているのである。佐藤を擁護し、佐藤を襲撃したとされるブントを断罪するようではあまりに情けない。
さらに某党派の機関紙は、「内ゲバ・テロル反対」「暴力反対」と書いている。けれども、諸君の標傍するレーニン主義は、赤色テロリズムを含めた革命的暴力の発動を正当化しているのではないのか。まさに某党派の日頃の主義、主張からいえば、佐藤を襲撃したと「される」件でブントは、「ほめられる」ことはあっても、「断罪」などできないのである。それしきの思想性しか持ち合わせていないといえばそれまでだが。それなのに某党派の機関紙は、見出しで「(ブントを)全戦線から放逐しよう」とまでいう。これこそ「内ゲバ主義」ではないのか。ファシストを讃え「売春の自由」を讃えるためにこんなことを言われてはたまったものではない。ブントに対してコンプレックスとルサンチマンの感情だけしかない某党派のことはともかく、巷間で「この件」が話題になっているようなので、事実関係について明らかにすべきか。
7・16で起こったこと われわれは、7月8日、ロフトプラスワンての鈴木邦男と荒岱介の対談の時に、10年ぶりに佐藤と出くわし、かれが「戦旗・共産同中退」の「ファシスト」を売り物に「言論活動ならざる言論活動」をおこなっていることを知った。
その日佐藤は、「搾取と抑圧を繰り返し続ける左翼霊感商法! 荒用慰安所が『知的共同体』だと? 笑わせるな!」「荒岱介は今までにダマシとって自分の名義にした全資産を福祉施設に寄付しろ」などと書いたビラをまき、発言した。これは「批判」でもなけれぱ「言論」でもない。根拠のない誹譲中傷だ!
ブントは、民衆の自発性と主体性に依拠した政治的共同体建設をめざし、「権利と義務の統一」を原則とした組織運営を行っている。財政問題をふくめて、佐藤ごときに誹謗されるいわれはなにもない。ちなみに荒岱介は、「自分名義の資産」など何も持っていないから鉄鎖以外に失うものがない。いわれなき個人攻撃なのである。
この日ロフトにいつたブントのメンバーは、腐りきった佐藤の無責任な言動に対し、本当に怒りに肩をふるわせたのである。
そしてその後、佐藤が7月16日に再びロフトプラスワンに登場し、今度は北朝鮮に対する誹譲中傷を行おうとしていることを知った。それで、予備校生のときの佐藤を知っている有志メンバーが、「元戦旗」を名乗って「売春の自由」とか「反北朝鮮キヤンペーン」を行うことに注意を促そうとなった。佐藤が「ブント清算事業団管財人」などと言いまくっているのは、既に言論の自由の範囲を逸脱している。
7月16日の当日、ブントの仲間たちは、ロフトプラスワンの前の路上で佐藤が来るのを待った。企画のはじまるギリギリの時間にやってきた佐藤にたいして仲間は、「ひさしぶりだな、佐藤。ブント清算事業団管財人とかよく言えるな」「北朝鮮人民が飢えているのは国家的サボタージュによるものなんてあんまりだろ」と穏やかに接した。ところが佐藤は、突如ナチス棒(特殊警棒)と催涙ガススプレーをとりだして、「なんだてめえら」と向かってきたのである。そこで血の気の多いブントの若者たちは、「あ、そう。お前そういう気なのね」となったのである。
「言論の自由」というのは、「何を言ってもいい」ということではない。言論の自由は、「他者に危害を加えない範囲」で守られるべきものだ。他者の人権や人間としての尊厳を著しく侵害するような言論は自由ではない。とりわけ事実無根の誹謗中傷の自由などない。ましてや佐藤に催涙ガスをかけられ、ナチス棒で殴られるのは人間的抑圧のきわみだ。佐藤や某党派は気づいてないようだが、荒が侮辱されたからどうのとかわれわれは考えてない。侮辱されたのはわれわれブントであり、正義を希求し、人間的自由を実現しようというわれわれの思想性だ。黙っているわけにはいかない場合もあるのである。ナチス棒と催涙スプレ−で「武装」するファシストに対し、やむにやまれず素手のブントの若者がちょっとだけ血気にはやったのである。確かにブントには多少血の気の多い若者も多い。しかし若者に正義を守るという気持ちがなくなり、ファシストの言いなりになるようならこの世は闇だ。(壇上 登)