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発行所 せんき社
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10・22 高尾山天狗トレイル大会vol.3  

自然の大切さを感じながら高尾山を駆け抜ける

 10月22日、第3回高尾山天狗トレイル大会(主催/高尾山天狗トレイル2006実行委員会)が東京の高尾山で開催された。エントリー数は昨年よりさらに増え850名。晴天の中、秋が深まりつつある高尾山をたくさんのランナーが走り抜けた。

 受付開始の9時前から、裏高尾の日影沢キャンプ場に次々とランナーたちが集まってくる。ゼッケンと記録計測用のチップ、日本ネスレ提供の栄養食品パワーバー、参加賞のTシャツが渡される。荷物預かりコーナーは大混雑だ。朝の静けさに囲まれていた森のキャンプ場は、またたくまにランナーたちの話し声、笑い声、スタッフの案内の声に包まれる。

 トレイル参加賞のTシャツデザインは毎年話題だが、今年も評判は良い。パタゴニア提供のオーガニックコットンにデザインされたのは、高尾山の象徴でもある「蝶々」。豊かな生態系が残る高尾山では、5000種にのぼる昆虫が生息しており、京都の貴船、大阪の美濃とともに日本3大昆虫生息地の一つになっている。高尾山はとりわけ蝶々の種類の多さで有名だ。蝶々模様に「SAVE MT.TAKAO」とロゴが入っている。

 Tシャツを着用したランナーたちに気合いが入る。10時、スタート地点の木下沢林道入り口で開会式が始まる。「五感を通して高尾山の気持ちよさを感じ取ってください。それがこの山を守る第一歩になります」と実行委員長の坂田昌子さんが挨拶。大きな拍手や「今年も楽しませてもらうよぉ!」といったランナーの歓声が返ってくる。

 続いて恒例の浅川金毘羅山神主の奥田靖二さんが扮する天狗様の御祓いが行われた。山の神にランナーの安全と高尾山の平穏を願う。これは例年ランナーたちに大受けだ。

 今回、記録計測を担当したのは、フジTVの24時間テレビでマラソン部門を担当するランナーズウェルネス。準備運動のストレッチは、ウェルネスのスタッフが指導した。

表彰式

 いよいよ10時45分、8Hコースが、11時には10Hコースがスタート。山中では、80名のスタッフがコースガイドとしてスタンバイを完了。ランナーをいまかいまかと待ち受ける。ゴール会場では、山中地点からのトップランナー通過の情報を聞きながら、ランナーに無料配布する日本製粉提供のパスタ850人前を茹で上げるのに大忙しだ。

 スタートから1時間あまり、ゴール会場に10Hのトップランナーが54分38秒で飛び込んでくる。18Hのトップランナーのタイムは1時間38分42秒だ。アップダウンのきついこのコースでこのタイム! ギャラリーから驚きの歓声があがる。次々ゴールするランナーたちは、疲れてもみせず満面笑みだ。「高尾山最高!」と叫びながらゴールする人もいた。

 一息入れたランナー達はゴール会場に出店している屋台で腹ごしらえ。ビールはもちろんのこと、ケバブ、牛すじの煮込み、鮎の塩焼き、オーガニックコーヒーなど、ほとんどすべてが売り切れごめんの完売状態となった。虔十の会製作のツリーハウスにも多くのランナーが見学に訪れる。

 14時からは表彰式とお楽しみ抽選会が行われた。多くの企業がスポンサードしているため、賞品は充実している。パタゴニアのウェア、ノースフェイスのバック、TIMEXのランナー用時計、ナイキのトレイルランシューズ、スワンズのランナー用ゴーグルなど、ランナー垂涎ものがずらりと並ぶ。グループ分けによる綱引きで優勝チームが賞品をゲットするとあって、盛り上がりは最高潮に。山を走り抜けた疲れもどこへやら、綱引きもランナー達は夢中で興じる。

 閉会式ではパタゴニアが「都会に近い高尾の自然を守ることの大切さを感じて欲しい。今日の気持ちよさを忘れないで下さい」とあいさつし、ランナーたちは拍手でこたえた。

 第3回高尾山天狗トレイル大会の成功は、120名を超えるスタッフの力による。前日からコース矢印の設置をはじめ、山中スタッフのお弁当作り、会場のレイアウトが行われた。当日は、一日中山に立っているコースガイドスタッフや、医療班、チップ回収班、飲料水班、パスタ班など、さまざまな役割分担があった。スタッフたちの楽しい笑顔や高尾山への熱い想いが、ランナーたちにも伝わっただろう。

 高尾山に高速道路のためのトンネルができれば豊かな自然がどうなってしまうのか、それをひとごとではなく、自分のこととして多くの参加ランナーが考えはじめている。


10・29東京 共謀罪を廃案に!講演会

共謀罪なくても国際組織犯罪防止条約批准は可能

 10月29日午後1時半より、渋谷区勤労福祉会館において、「共謀罪を廃案に!講演会」が開催され、約60名が参加した。主催は「共謀罪に反対するネットワーク」。

 最初に、富山大学教員の小倉利丸さんが、「サイバー犯罪条約とコンピュータ監視法案」をテーマに講演。

 小倉さんは、共謀罪に関連して提出されているコンピュータ監視・取締り法案について詳しく解説。「この法案について政府側は、サイバー犯罪条約締結に伴う国内法の整備のためだと言っているが、その本当の狙いは、共謀罪と密接に関連している。この法案が成立すれば、コンピュータのデータならなんでも捜査・差し押さえの対象になる上、場所を限定しないネットワーク越しの差し押さえも可能になる。しかも、警察は裁判所の令状なしに、プロバイダーなどに通信履歴を一定期間保管させることができる。知らない内に警察に人間関係が特定されることになり、ジャーナリストが取材の自由を脅かされ、市民運動などへの警察の監視が更に強化されてしまう」と法案の問題点を指摘した。

 続いて、弁護士の海渡雄一さんが「国連越境組織犯罪条約と共謀罪」をテーマに講演。イギリスから帰国したばかりの海渡さんは、「イギリスでもここ20年の間に700ぐらい新たな犯罪が法律で規定されている。今回一番驚いたのは、反社会的行動罪などという罪で、夜中に騒音を出すとか、顔が見えないフードを被って道にたむろすることなどが反社会的行動として罰せられるような息苦しい状況にイギリスもなっている」と前置きして本題に入った。

 海渡さんは、国連の国際組織犯罪防止条約を批准するためには、国内法として共謀罪を成立させなければいけないのだとする政府の主張は論証されていないと指摘。「そもそも条約の批准とは、条約締結国となる意思を表明すれば良いのであって、国連が国内法を審査したりする手続きは存在しない。アメリカですら、極めて限定された共謀罪しか定めていない州もあるため、留保を行った上で批准している。こうした事実は、政府のこれまでの国会答弁と矛盾しており、場合によっては虚偽答弁にあたる」と解説した。

 つづけて関東学院大学教授の宮本弘典さんが刑法学者として「共謀罪と組織的犯罪処罰法」をテーマに講演。「共謀罪が成立すれば、具体的・現実的な個人の生活の危険に先立って刑法の介入を許すことになってしまう。そのことで、刑法が治安法化してしまい、情報収集等の警察活動を広範に正当化し、結局国家に対する市民の合意や忠誠を強制する道具に化してしまう危険性がある」と指摘した。

 講演の後、質疑応答が行われ、「共謀罪は今国会では見送りという報道もありますが、最後まで気を抜かずに廃案までがんばりましょう」と参加者全体で確認して集会を終えた。


追悼 川添達雄

3年前のある晴れた朝、突然に……

 2003年11月26日、本紙編集部員川添達雄は突然自らの命を絶ってしまった。川添が残した遺書は、彼が使っていたパソコンに残したブント関係者にあてたもの一通。あれから3年。御遺族のお許しを得て彼の遺書を明らかにすると共に、改めて川添達雄を偲びたい。

(編集部)

2003年7月自宅に太陽光発電システムを導入したときの川添さん

川添達雄 享年37歳

 1966年3月19日生。厚生省官吏の三男として生まれ、武蔵高校から上智大学に進むが中途退学。94年4月東大教養学部に再入学、98年3月卒業。

 日本引越公社で引越作業員、ローヤルエンジニアリングで設備工事などのアルバイトをしながらブント活動家として活動。1990年天皇在位60年式典に際しては皇居前に糞尿を撒くなどのゲリラ活動を行う。糞尿戦士とよばれた。1999年より本紙編集部員として活躍。しかし母親の不慮の死後、次第にアルコール依存症になり、2003年11月、鉄道にて自らの命を絶つ。

ジョン・コフィーのように心優しい男だった

荒 岱介

 川添達雄の急逝からもう3年たったのだなあと思う。川添というよりスドーと呼ばれていたわけだけど、彼ほど意外性の固まりだった人はそうそういない。

 なんといっても死んじゃったとなったとき、居合わせた人達は皆口を揃えて「ウソダー」と絶句したのだから。アルコール依存症になってヘロヘロになっていたのは知っていたが、だからといっていきなり死ぬことはないでしょう、これが皆の想いだったろう。まさにそれは、スドーの「本当かよ」とか「ウソダロー」の連なりのような人生の集大成だった。

 私は彼の人生に深くコミットしたのだろうけど(遺書にそう書いているのだから)、よかったことも悪かったこともいろいろある。

 90年代の初めの頃だったと思う。合宿で新潟の守門岳に行ったときのことだ。かなりハードな残雪の雪山山行で下りて来たときには夕方近く、みんな疲れて帰り支度を急いでいた。私は自分で運転して帰らなくてもよい、車に同乗させてもらえるとなって、缶ビールを2本位飲みながら帰り支度を済ませ、皆と雑談をしながらどでかい駐車場の中を歩いていた。スドーと長田の車のところで立ち止まり、ズボンのポケットに両手をつっこんで「くたばったか」などと話しかけた記憶がある。

 そのあと、どうしてそうなったのかは忘れたが、スドーと相撲をとるハメになってしまった。長田が「ヨシ、行け!」とか号令すると、スドーがものも言わずにまるでピットブルみたいにかかってきた。〈一体、どういう人間関係になっとるの?〉。

 こっちは少し酔っぱらっていて、しかもズボンのポケットに両手を突っ込んでいる。相撲をとるといっても、誰だって冗談でと思うような状況だ。

 スドーはそんな私をかんぬきに決めるや、渾身の力を込めて持ち上げた。「お前力強いな」とか言って笑っていた私は、当然それで終わりだと思った。しかしそのあと、彼は「ウォー」とコンクリートの地面に私を投げつけたのである。放り投げられた私は受け身もとれず、「ウソダロー」。〈お前どうなってんだ一体〉〈力加減てないの〉。

 だが、怪力に助けられたこともある。東大生だった頃、彼が引っ越屋のアルバイトをやっていたのは周知のことだ。ともかくこと引っ越しになると、彼は必ず何か全責任をとろうとした。

 私の家の2階にクローゼットを運び込むとなったときだ。3人でやろうとしたのだが階段からは入らず、テラスからロープでしばって釣り上げようとした。私とスドーが上から引っ張り、下で1人が介錯するという態勢だ。しかし2人では重くて持ち上がらず、下の1人も2階に来て3人で引っ張り上げる以外なかった。

 「ヨイショ、ヨイショ」と声をそろえても重いのなんの。テラスの下位まで来たとき「手が痛い」と下から上がってきた助っ人はロープから手を離した。「軟弱だな、力を抜いてはダメダ」、そうスドーは叫んだ。だがそのときには、もう私も限界だった。「スドー、いったん降ろそうか」。私は汗をダラダラ流しながら、息もたえだえになってスドーに訴えた。

 そのときだった。「ヤルゾー」とスドーはテラスの囲いの壁の上に立ち上がった。そして真っ赤な顔をしながら、ほとんど一人でクローゼットを引っ張り上げはじめたのだ。まさに超人ハルク。〈どうなってんだ一体〉。「負けてたまるか」。まさに渾身の作業だった。やがて彼のおかげでクローゼットは引き上げられた。

 「どこからあんな力出てくるんだ」「スドーちゃんてスゴーイ!」と女の子みたいに讃える2人。「イヤそれほどでもないですよ」。困ったようなスドーの照れ笑いは彼の会心の笑みだったろう。

 もちろん、彼は唯の怪力男だったのではない。彼こそ歩く百科辞典、ウォーキング・ディクショナリーという言葉そのものの男。ともかく一日中本を読んでいて、どんなクイズに出ても優勝したのではと思う。彼が編集の仕事をするようになってからは、「これ教えて」と皆が彼にレクチャーをうけた。彼はそれを自分のプライドとし、一層読書にはげんでいた。

 そんなスドーにとり酒を飲みつづけなければ原稿が書けない、酒を飲みつづければやがて酔っ払って原稿が書けなくなるというジレンマは、もう解決不可能のことと思えたのだろう。後日、彼の一番上のお兄さんと話したとき「アルコール依存症は体質、私は断酒会に入って酒を断ちました」と言っていた。お兄さんにも相談していたらしいが、彼が死を選んだときも、前夜から飲み続けて酩酊していた。

 残した文章はしっかりしているのだから、最後の最後になって再び彼はスティーブン・キング『グリーン・マイル』のジョン・コフィーのように神秘の力を発揮したのだ。

 スドー、もう無理をしなくていいんだぞ。

あまりにもはにかみ屋さんのターミネーター

沢田ゲンジ

 今でもあいつの笑顔を良く思い浮かべる。いや、正確に言うとそんな気ないのに、突然、勝手に浮かび上がってきやがる。須藤ほど何も隠し立てのない、本当に嬉しそうな笑顔をもっているやつはいなかった。いつもしかめっ面しかしてないようなやつだったからこそ、笑顔にはものすごいインパクトがあった。特に褒められた時の喜びようは無邪気な子供以上に無邪気だった。

 あいつは時々、すっかりめかし込んでみんなの前に登場した。いつも超ヨレヨレのきったない服を着ているので、「おめかし」は誰の目にもすぐに分かった。いかにも『Hotdog Press』のモデルをそのまんま真似したような格好である。こういった時には、彼は100%マニュアル通りの行動をおこなう。

 「よう、スドーちゃん。今日は、ばっちり決まってるな」。俺は須藤のことを思いっきり褒める。もちろん半分は冗談で。

 「え、そうですか。それほどでもないですよ」と言いながら、嬉しさのあまりこぼれ出そうになる笑顔を押し殺そうと、顔が引きつっている。知る人ぞ知る、あいつ独特の表情。須藤に冗談は通じない。

 「すげーかっこいいよ。女の子がほっとかないぜ。憎いねスドーちゃん」

 「やめてくださいよ。もー、ゲンジさん」。モジモジとはにかみながら怒る仕草。可愛すぎる。あいつはしっかりと品格ある恥じらいの日本文化を引き継いでいた。ちょっと極端だけど。

 でもこんなのはあいつのほんの一面だ。   あいつは天才的頭脳を持っていた。皇居糞尿戦士となって投獄され、ルンプロになって以降も東大拠点化のために組織入学の指令を受けると、たった半年間で受験勉強を完了し合格してしまった。それも引っ越し屋の過酷なアルバイトを毎日おこなって生活費を稼ぎ、連日組織活動に明け暮れるまっただ中でだ。

 頭脳の凄さだけではない。その根性たるや常人の域を遙かに超えていた。バイトと組織活動以外の時間はいつも参考書をブツブツ読んでいる。いつ寝ているのかさえ誰も知らない。須藤の辞書に「泣き言」の文字はなかった。こんなスパルタンな男など見たことない。いやスパルタ戦士でさえ仰天するほどのターミネーター並の根性と体力を備えていた。

 だがその半端じゃないところが仇にもなった。あいつは他人(男に限るけど)の弱音が許せなかった。男が弱音を吐くなんて想像できなかった。いや、想像したくなかった。だから、お茶目なスドーちゃんは実は下部活動家にとっては苦痛の種にもなったのだ。そこであいつは躓きまくった。酒を飲むと他人をぼろくそに言いまくり喧嘩の種ばかり作ったりもした。鋼鉄のような意志と完全主義を相手に強制しようとするのだ。

 自分が沖縄に移住してから5年目にあいつは自らの命を絶った。その間にあいつにどんなことがあったのかはよく知らない。もしかしたら最も許せない弱音を自らの中に見いだしてしまったのかもしれない。でもスドーちゃんにはその前に知ってほしかった。そして開き直ってほしかった。

 「誰もが弱虫なんだよ。勝負はそこからだ」  あいつのことを考えるとどうしても思い出してしまう映画がある。若きジョニー・デップの出世作『シザーハンズ』。凶器の手を持つどこまでも繊細な心。あいつは鋭利なハサミで自らのあまりにもウブな心を切り刻んでしまったのだろうか?エドワードのように、鋼鉄のハサミで刻んだ雪を捧げるべきキムのような人がいたら今頃は…。いや、そうじゃない。エドワード・スドーはどっかで、心のキムのために今日も純白の雪を降らせ続けているに決まってる。満面にあの笑みを浮かべながら。

遺書

 荒さん、山根さん、黒木さん、長田さん、五味さん、今井さん、そしてすべての同志の方々へ 申し訳ありません。編集部で自分のなすべき仕事を担おうとしていたのですが、この間急速にアルコールへの依存が深まったこともあり、自分の能力はどんどん低下、何もできなくなりつつあります。  

 こんな形で決着をつけるのは卑怯と思いますが、ほかに手段は思い浮かびません。荒さんには、本当に申し訳なく思います。

 自分の人生にとって、戦旗・共産同と出会えたことは、――戦旗派=荒さんといっていいと思いますが、大変すばらしいことだったと思います。願わくば自分の主体的限界から負託に応えられないという事態を招かず、生涯任務を遂行したいと思いました。自分の人生をリセットすることなどできませんが、想像力の上で生まれ変わりが許されるなら、今度こそ荒さんに対して何らかの恩恵を返したい。ぼくが荒さんになした迷惑と貢献を天秤にかけると、迷惑の方が大きいと思いますが、そう思っています。

 アルコール依存は「ゆっくりとした自殺」といいますが、ゆっくりなどしていなかったようですね。 本当にごめんなさい。戦旗派に出会えたことは幸せであり、恩返しをできないことは心残りです。

 さようなら

(2006年11月15日発行 『SENKI』 1229号2面から)

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