「ブント」の襲撃体質を生みだした元凶が
自分の「戦中暴行体験」を得々と披露した



「バスガイド暴行魔」荒岱介の暴行自慢





 以下は、1999年9月15日に発行されたインタビュー集『悪人志願』に収録されている、本橋信宏氏による荒岱介インタビューの一部と、本橋氏による解説の引用である。

本橋信宏
 六七年十月八日、佐藤栄作総理大臣が訪米することになった。荒さんをはじめとする新左翼の学生たちは、訪米を許すと日本はベトナム戦争にますます荷担することになるだろうと、佐藤訪米阻止闘争をおこなうことになり、ブント・中核派・社青同解放派の三派を中心に羽田空港を占拠して総理の乗った特別機を飛び立てなくしようと進軍していく。

荒岱介
 一〇・八羽田闘争の現場もいたんだ。前日の一〇・七に中核派が路線のちがいで全学連を割ったわけだよな。要するに三派全学連が割れたわけだよ。だから、解放派とかブントは穴守橋のほうに行ったんだ。ん? 天神橋? どっちか忘れちゃったけど。もうひとつの橋で、機動隊とぶつかり合いがあって山崎君が死んだの。彼は中核だから俺とは別の場所だったんだね。ほんとあんときはね、もう何十年も前だけど、いまも憶えてる。鈴ヶ森ランプの所から投石しながら機動隊を撃破して高速道路に入ったんだね。それで突破して入ったんだよ。で、高速道路を走って羽田を目指したんだ。俺は若かったから先頭でバーッと突っ込んでさ。機動隊追っかけて高速道路走ってた。ところが羽田に向かう左右に分岐してる所で、右に行けば羽田だったのにまちがえて左に行っちゃったんだ。大井競馬場のほうに行っちゃったんだな。いまでも憶えてるけど、行けども行けども羽田につかないわけさ。後からブワーッと何百人入って来てるよ。行けども行けども着かないで、みんなヘトヘトになっちゃってさ。
 そしたら向こうから観光バスが来たんだ。ブワーッと人がいるから急ブレーキかけて止まった。バスガイドに「羽田どっちだ?」って聞いたら、バスガイドが「あっち」だって。全然ちがう方向だったんだ。ちゃんと教えてくれたんだけど、みんな激昂してたからほんで俺、バスガイドに「ふざけんな。この野郎!」とか言ってぶん殴ったの憶えてるよ。嘘を教えたと思ったんだ。それでその後、羽田に向かって進撃してるっていうことを、中核派のいた会場で副委員長が報告した。「機動隊を突破して羽田に進行してる!」って。それで中核派が一挙に羽田に向かおうとして、装甲車を奪ったりして、で、そんときに山崎君が死んだんだよ。逆にうまく羽田を目指してたら、機動隊とかなりドンパチあってもっと死者が出たっていう可能性あるよ。そのころそういう時代じゃない。おもしろかったけどね。

(メディアワークス発行『悪人志願』、168〜169頁より。
筆者名と改行・太字化は佐藤)

佐藤悟志
 子分どもの前で間違いを指摘され、メンツを潰されたのでカッとなってぶん殴る、ロフト事件でもお馴染みのパターンである。以降33年の首領様人生で身についたのが、子分にやらせて自分の手を汚さない狡猾さだけとはいやはや。
 ていうか、「機動隊とかなりドンパチあってもっと死者が出たっていう可能性」のどこが「おもしろい」わけ?。駄ボラを吹いて他人を死地に追い込み、自分はその辺で女を「ぶん殴って」は「おもしろ」がっている。さすがは塩見孝也の直弟子である。

 九州沖縄サミットをひかえた2000年7月4日、宜野湾市で、酒に酔った海兵隊員が民家に上がり込み、就寝中の15歳の中学生に襲いかかって強制わいせつで逮捕されるという事件が起こった。この事件をきっかけに沖縄では抗議集会が連日行われ、沖縄県民の怒りのマグマが噴出したそうだがさて、この米兵を擁する沖縄米軍と、我らが「ブント」では、いったいどちらが悪質で犯罪的だろうか。予想通りと言えばその通りだが、もちろん悪質なのは我らが「ブント」の方である。
 理由は簡単で、在沖米軍は少なくともそのトップが正式に謝罪を表明し、事件の再発防止に尽くすことを約束している。ところが 「ブント」は、謝罪どころか再発の防止にすら言及していない。ていうかそもそもトップ自らの犯行なのだからなにをか言わんやである。
 それでは諸君、想像してみたまえ。例えば今回の事件を引き起こした米兵、ないしは在沖米軍の幹部が、将来この事件を振り返って「面白い時代だった」とか「サミットで状況が切迫していたんだから、この程度の事件は起こって当然だよ」とか言って開き直ったとしたらどうだろうか。量的には米軍全体の引き起こす性犯罪のほうが多いだろうが、その悪質さ加減から言えば、「ブント」の方が明らかに上、ていうか下ではないだろうか。

 我々は若い頃、大東亜戦争を戦った退役軍人が、「あの戦争は面白かった。若い朝鮮娘をヒイヒイ泣き喚かせたもんだぜイヒヒヒ」とかいった昔話で盛り上がっているという噂話を聞いて(しかも実際には身近で見聞きしたことなどないにも関わらず)、そんな社会は変革しなければならないと考えて、政治運動などに手を染めたのではなかったか。
 しかし、1999年出版のこの本は、そうした政治運動自体がさらに新しい「退役軍人」どもを生み出し、その連中の「戦争思い出話」や「暴行自慢」に、これからも我々が付き合わされなければならないという、ほとんどゲンナリするような現実を示している。
 もっとも「ブント」の中年小僧どもは、こういう話を聞いては「おもしれえっ」などと盛り上がっているんだろうけどね。やはりデマぶんと暴行集団の「撲滅と解体」は緊急の課題である。


2000年09月29日


「ブント清算事業団」代表管財人 佐藤悟志




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