「精神障害者の犯罪率は低い」説の嘘 





 さて、あれほど騒がれた少年による殺人事件の数々だが、最近五年間(九四年〜九八年)の累計検挙数は四百四十六人だった(警察庁による)。他方、(刑法三九条が適用された)精神障害者によって為された殺人は、同じ五年間の累計で七百五十五人にも達している(法務省刑事局による)。母集団としては、少年の人口比は三割ほどになるが、精神障害者は一%程度である。しかも、危機を煽るだけのマスコミ報道と現実は異なっており、少年犯罪の検挙数も凶悪犯罪も戦後基本的に減少しているが、刑法三九条の適用数は戦後ずっと増加の傾向にある。
 このような統計的事実を指摘しただけで、人権侵害だ病者差別だとヒステリックに叫ぶT専門家Uはさすがに少なくなったけれども、よく考えていただきたい。少年ならではの犯罪というものが存在するのと同様に(たとえば学校内でのカツアゲとか、改造バイクを押収された少年たちが署の壁を外からよじ登って自分のバイクを取り戻そうとして捕まったというような)、精神障害ゆえの殺傷事件というものが存在する。路上をごく普通に歩いていた青年を、いきなりメッタ刺しに惨殺したというケースでも、相手が自分に襲いかかってきた宇宙人だと本気で信じているような場合が確かにある。
 このようなとき、日本では事件そのものが「なかった」ことになる。被害者は突然この世から消え去ったのであり、遺族は泣き寝入りを強いられる。「なかったこと」なので、事件の真相など永遠に知らされる機会は与えられない。犯人が起訴されることもなく自宅に戻ってまた周辺を徘徊している姿を見て、遺族は第二の犠牲者を出したくないために、固く沈黙を守り(それゆえむろん取材には応じない)、しばしば転居さえすることになる。
 虫歯に悩む人や胃腸病者が、その痛みや病ゆえに凶悪犯罪に走るという可能性を、私たちは配慮する必要がない。しかし、妄想や幻聴や精神運動発作によって起こされた行動が、現実世界では悲惨な加害行為になりうることには、配慮する必要があることを私も認める。
 認めるからこそ、精神障害犯罪者を野放しにすべきではなく、被害者や遺族を泣き寝入りさせてはいけないと祈るような気持ちになる。
 しかし精神病の専門家とされる人々が間違ったT善意Uから、明白な嘘を書き綴っているのは残念なことだ。
《成人刑法犯検挙者の中にしめる精神障害者の率は、「精神障害の疑い」もふくめても、〇・八六%(昭和四四年〜五四年の累計)しかなく、精神障害者の犯罪率は低いのである。》(青木薫久『保安処分の研究』三一書房、九三年)
《病人の犯罪率は刑法犯でいえば検挙人員で〇・一%、有罪人員では〇・六%(一九七九年〜八一年)と低い数字です。》笠原嘉『精神病』岩波新書、九八年)
 なぜ、これらが嘘であると私はいうのか。精神病であることは、刑法犯全体とは対応しないからであり、それを彼ら精神科医はよく知っているはずだからである。しかも、ここにいう刑法犯には少年事件(自転車泥棒など)や交通事件がすべて含まれており、分子がすべて成人の精神病者であるのだから、実におかしなT算数Uといわなければならない(少年事件および交通事件を除外すると後掲資料のように約〇・九%となる)。
 たとえば、精神分裂病にともなう妄想ゆえに放火や殺人をおかしてしまうことはありえても、通貨偽造や贈収賄を分裂病との因果で論じる必要はない。また横領や恐喝や業務上過失致死傷は、精神障害者のほうがそれ以外の者より犯しがたい犯罪である。つまり、全刑法犯を分母とし精神障害犯罪者を分子としたものだけをもって、あたかも精神障害者のあらゆる犯罪が少ないかのように見せかけるのはフェアではなく、それは事実の隠蔽というほかない。
 青木医師や笠原名誉教授もよくご存じのように、なるほど《犯罪率は刑法犯でいえば検挙人員で〇・一%、有罪人員で〇・六%》だとしても(笠原前掲書)、《しかし、この比率は罪種によって大きく異なり、放火(検挙人員の6・3%、有罪人員の14・8%)や殺人(同6・5%、12・2%)などの凶悪犯罪では著しく高まる》のである(前掲『精神分裂病と犯罪』)。
 日本における精神障害犯罪者の実態を初めて明らかにした法務省調査によっても、確かに精神障害犯罪者÷成人刑法犯検挙人員(一九八〇年)は〇・九%だが、こと殺人ともなればその比率は八・五%、放火は一五・七%に跳ね上がる(「資料 精神障害と犯罪に関する統計」=『法務総合研究所研究部紀要』第二六巻二号、八三年)
 殺人や放火という凶悪犯罪において、精神障害犯罪者の比率が一割前後にも達する事実は、これまでマスコミにおいては伏せられてきた(タブーというより記者たちの不勉強によるところが大きい)。「〇・一%」などという虚偽の数字が公にされることはあっても、「一五・七%」というような数字は、ほとんどの読者は初めて目にしたのではないかと思う。
 諸外国の統計によっても、殺人や放火などの凶悪犯罪で、精神障害者による犯行はきわめて高い比率を占めている。たとえばアイスランドでは八〇年間に生じた全殺人のうち三七・八%が精神障害者による、という(Petursson.H. & Gudjonsson,G.H.:Psychiatric aspects of homicide.Acta psychiat.,64,1984)。「精神障害者による犯罪は多くない」という主張は、退場すべき過去のイデオロギーによる産物だった。

『偽善系2』(日垣隆著、文藝春秋社刊、2001年)、38〜41頁より。

(『偽善系2』の『2』は、正確にはローマ数字)






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