Voyage |
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僕達はこの長い旅路の
果てに何を想う
誰も皆愛求め彷徨う
旅人なんだろう
共に行こう飽きる程に
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2002年10月16日付朝日新聞より
拉致の5人帰国
24年ぶり家族再会
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による日本人拉致事件の被害者5人が15日午後、政府チャーター機で24年ぶりに帰国し、家族と再会した。東京都内で2泊した後、17日にそれぞれの故郷を訪問する。5人は平壌に子どもらを残しており、約10日間の滞在後は北朝鮮に戻る予定。
帰国したのは、新潟県柏崎市で78年7月に拉致され北朝鮮で結婚した蓮池薫さん(45)と奥土祐木子さん(46)▽福井県小浜市で同月に拉致され結婚した地村保志さん(47)と浜本富貴恵さん(47)▽同年8月に新潟・佐渡島で拉致された曽我ひとみさん(43)。
5人は15日正午過ぎ、平壌の順安国際空港で政府チャーター機に乗り込み、午後2時20分ごろ羽田空港に到着。出迎えた家族と24年ぶりに抱き合い、涙を流した。
5人は東京都千代田区内のホテルに家族とともに投宿。記者会見では、「長い間ご心配をかけました」などと一言ずつあいさつすると、退席した。
会見でそれぞれの家族が明らかにしたところによると、曽我さんは出迎えた妹に「父ちゃんはまだ酒飲んでるか」と尋ねた。地村さんは「父ちゃん、年のわりに元気やな」と父親に語りかけた。蓮池さんは母親に抱きしめられると、「心配掛けて申し訳ない。ごめんね」と言った。「拉致現場に行きたいか」と尋ねた兄には、「行きたくない。(事件のことは)後でゆっくり話そう」と答えたという。
5人とも家族の予想以上に快活だったといい、チャーター機内では京都の街並みを写したビデオに見入った。羽田からホテルに向かうバスの車内では、日本のテレビ番組を見て笑い声も聞かれた。
会見には、帰国した5人とその家族のほか、北朝鮮による拉致事件の被害者家族も出席した。拉致被害者家族連絡会を代表して、横田めぐみさんの父滋さん(69)が「帰国された方のご家族だけでなく、家族会一同、大変喜んでいる」と述べた。
5人に同行した外務省の斎木昭隆アジア大洋州局参事官の説明では、順安空港には、曽我さんの夫である元米兵ジェンキンス氏と長女(19)、次女(17)が見送りに来た。「日本に来ないか」と尋ねたが、ジェンキンス氏は「簡単に行くわけには立場上いかない」と答えた。
万感の「お帰り」
24年前の夏、海沿いの町から相次いで連れ去られた男女5人が15日、ようやく朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から戻った。家族と引き裂かれた四半世紀の日々。出迎えた肉親と抱き合い、胸いっぱいに母国の空気を吸い込んだ。
チャーター機の扉が開き、日本の空気が機内に広がった。タラップの下には、日の丸と横断幕を持った家族たちが待ち受ける。現れた5人の左胸で、赤地に故・金日成主席の肖像が描かれたバッジが光った。機内で渡された拉致被害者の救出を願う青いリボンも。
浜本富貴恵さん(47)はベージュのスーツ姿でタラップの最上段で、すぐに家族を見つけた。喜びと懐かしさを抑えきれないかのように左手で口を押さえた。夫の地村保志さん(47)の肩を右手で軽くたたき、はしゃぐように右手を振った。白い歯がのぞいた。
24年ぶりの日本。
兄雄幸さん(73)は富貴恵さんの笑顔を見た瞬間、長い間のわだかまりが一気に解けたように感じた。
「お帰りなさい」
「帰りました」
それだけ言うと、涙ぐんで手を握りあった。
出迎えた兄弟ら8人ともすぐにうち解け、宿泊先の赤坂プリンスホテルに向かうバスの中でも昔話に花が咲いた。輪の中で一番よく笑い、にぎやかだったのが富貴恵さん。雄幸さんは思った。「本当によかった。兄弟のきずなは強い」
地村さんは表情が硬い。しかし地面に立って知った顔を見つけた瞬間、表情がほころんだ。
「父ちゃん、年の割に元気やなあ」。抱きしめるつもりで出迎えた保さん(75)を、逆に両手で包み込んだ。「かえってこっちが励まされた」と保さん。さっそく親子で記念写真も撮った。
東京の街並みを見せようと、バスの中では保さんが窓のカーテンを全開にした。保志さんは珍しそうにきょろきょろ見回し、道路にいるカメラマンに手を振る余裕も見せた。
蓮池薫さん(45)、奥土祐木子さん(46)夫妻は、結婚式での新郎新婦のように、腕を組んでタラップを下りた。蓮池さんは紺のスーツ。奥土さんは黄土色の柄物のスーツを風に揺らしながら、知った顔を見つけて指をさし、右手で目を押さえた。
空港のアスファルトの上で、薫さんは背の低い母のハツイさん(70)を抱きしめ、耳元でささやいた。「心配をかけて申し訳ない。ごめんね」。妻の奥土さんの父、一男さん(75)には、許しを受けずに一緒になり、申し訳ありません、と礼を尽くした。
祐木子さんには、薫さんの父の秀量さん(75)が声をかけた。初対面だった。「あなたの力があったから、今日までがんばれたんだよ」
兄の透さん(47)は弟の顔を見て、事前に見たビデオより活気があったので安心した。「お帰り。見てごらん。すごいカメラだろ」と、報道陣に驚く弟を気遣った。「まだ、たばこを吸っているのか」。弟が北朝鮮製のたばこを差し出すと、兄は自分のたばこを差し出した。
羽田空港からの車内。薫さんはテレビの報道番組に映る自分たちをじっと見つめ、何かを考えている様子だったという。透さんは、2人が好きだったロックグループのCDを見せ、「(CDは)知らないだろう」とからかうと、薫さんは「馬鹿にするなよ」と返した。
薫さんは、兄の携帯で、24年間会うことのなかった友人たちに電話をかけ続けた。小中高校を通して同級生だった小林恒行さん(45)は午後6時前に携帯電話がなった。「恒行か、恒行か」。薫さんは名前を連呼した。小林さんが「カオちゃんか」と応じると、「そうだ」とうれしそうに答えた。
この日の夕食は、すしや天ぷらなど。薫さんは「向こうでも刺し身ぐらい食えるよ」。
曽我ひとみさん(43)はグレーのジャケットに白いブラウス。最後に地面に降り立った。先に降りた4人はすでに家族と抱き合っているなか、少し戸惑う。妹の金子富美子さん(37)が目の前に現れると笑顔にかわった。「お帰りなさい」と富美子さん。曽我さんは「富美子」と呼んだ。2人は抱き合って涙を流した。
都内のホテルへ向かうバスの中で、姉妹はようやく会話を楽しんだ。富美子さんが「子どもは何人いるの」と聞くと、「19歳と17歳の子どもが女の子ばっかりいる」。
父親を心配している様子で「父ちゃんは、まだお酒飲んでるか」とも。食べたいものを聞くと、「いろんな物を食べたい」と返ってきた。
カーテンは少し開けただけ。
記者会見場に姿を見せた曽我さんは、緊張しているのか、硬い表情で被害者5人の最初に一言だけ口を開いた。
「とっても会いたかったです」