浜崎あゆみ 28th SINGLE



Voyage




僕達はこの長い旅路の
果てに何を想う   
誰も皆愛求め彷徨う 
旅人なんだろう   
共に行こう飽きる程に

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2002年12月20日付朝日新聞より

再会で心の絆 実感

5人 同じ運命の船



 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による拉致事件の被害者5人は19日、新潟県庁で記者会見し、日本にとどまることを決意するにいたった経緯や、北朝鮮への意識の変化を語った。胸に「金日成バッジ」はなく、今回の再会で「互いの絆を実感」し、「同じ運命の船」にいると感じたという。5人は日本で家族との再会を求める意向を表明した。

とどまる決意/日本人の自覚 再認識


 記者会見は午後2時40分から約50分間、開かれた。新潟県柏崎市の蓮池薫さん(45)、奥土祐木子さん(46)夫妻、同県真野町の曽我ひとみさん(43)、福井県小浜市の地村保志さん(47)と浜本富貴恵さん(47)夫妻が、壇上に並んだ。
 日本にとどまることを決意した理由について、蓮池薫さんは「古里の懐に抱かれ、親にとって私の存在は命以上のものだと感じました。向こうに帰ったら、二度と来られるかという不安も感じました」と説明。友人の言葉や兄との口論も影響したという。
 「私の気持ちとしては北朝鮮に帰らないつもりです」。だが、永住帰国については「子供がアメリカに行きたいとか、そういう話になるかも知れないし」と言い、子供と話し合って決めるというこれまでの立場を改めて説明した。
 薫さんは政府が方針を決定した10月24日朝、中山恭子内閣官房参与に電話し、日本で子供を持つ決意を伝えたと明かした。参与から「今の状況ではわざわざ公表する必要はない」と言われ、すぐには意思を示さなかったという。
 しかし11月5日に安倍晋三官房副長官、中山参与と話してから考えが変わり、その日の会見で決意を明らかにしたという。誰かの強制ではないかとの見方が一部にあることに対し、「事実に反しています」と否定した。
 「当初は一時帰国の予定だった」という地村保志さんは、政府決定の「数日前に決めた」という。家族や友人の強い説得と、「国民のみなさんの温かい歓迎と激励」を理由に挙げ、「やっぱり自分は日本人だという自覚を再認識するようになりました」と話した。
 曽我ひとみさんは「お2人の気持ちと同じです」とだけ答え、10月末の段階で決めていたのかについて言及を避けた。
 再会について薫さんは「大きな励みになった。同じ考え、同じ気持ち、同じ運命の船に乗っているという気持ちを一つにしました」と時折笑顔を交えて語った。曽我さんは「電話はしてましたが、5人が心の絆で強く結ばれていると実感しました」と話した。

年の瀬の思い/子供たち、耐えて欲しい


 北朝鮮での年末年始について、蓮池祐木子さんは「クリスマスはありません。お正月は子供が冬休みで帰ってくるので、家族みんなで集まって、ごちそう作って、カルタなどをして過ごしました」。年越しそばと元旦と元旦は日本式の雑煮を作って過ごしたという。
 地村富貴恵さんも「餅をつき、子供とギョーザを作って楽しく暮らしました」と語る。
 曽我ひとみさんは「昼間、子供たちは正月のあいさつで先生のところに行き、夜、みんなでそろって普段よりもおかずをたくさん作って楽しく食べていました」と話した。
 78年7月に拉致され、25年ぶりの日本での年末。祐木子さんは「紅白歌合戦を久しぶりに聞いてみたい。おせち料理も習ったりして楽しみたいと思います」と話した。
 一方、家族と離ればなれの正月となる。
 地村保志さんは「やはり年末年始が近づくと、子供への考えというのが、だんだん大きくなってきます」と語る。
 北朝鮮の核開発問題や米朝交渉が、家族との再会の行方にどう影響するか、不安はある。
 保志さんは「子供たちは今、かなり精神的に苦痛を受けていると思うので、頑張って欲しい。これに耐えて欲しいと心に願っています。
 曽我さんも「一日も早く、家族が帰ってくることを待っています」と述べた。

金日成バッジ/つける意味、なくなった


 地村保志さんによると、約2カ月ぶりに再会した5人は、「金日成バッジ」をこれからもつけるのか外すのか、話し合ったという。
 結論は「各自の意思で、外すなら外そう」。5人で決めたのではなく、自分の意思で自由にしようということだった。
 蓮池透さんは「日本で子供を待つという意思を再確認した。(こういう状況では)朝鮮公民としての義務、権利を全うできない。バッジをつけている意味がなくなった」と理由を話した。
 一方で「決して北(北朝鮮)に対する敵対的、政治的意図とは違う」とも付け加えた。また「日本にとどまる決心をした以上、バッジをつけることは向こう側にも失礼になる」と言った。
 報道陣から「(兄の)透さんは以前、薫さんを『半分日本人。半分朝鮮公民』と言っていました。朝鮮公民の意識がなくなっているということですか」と質問が出ると、薫さんは間髪を入れず「そうです」と答えた。  地村保志さんは「あちらにいる子供に影響を与えないかという心配は私の家にあった」としつつも、「立場をはっきりさせる時期が来ました」。
 はずしたバッジや支給された服をどうするのかという質問には「大事にとっておく。服は私のもの。記念にとっておきます」。
 曽我ひとみさんはややうつむき加減に「(バッジを外した理由は)地村さんや蓮池さんと同じです」とだけ 述べた。

今後のくらし/家族の帰国後に不安も


 拉致被害者支援法が施行される来年1月1日から、5人は自立へ向け新たなスタートを切ることになる。給付金は5年をめどに単身で月17万円、2人世帯で24万円。会見で、今後の生活について「不安や支障はないか」という質問が出た。
 「国や県、町が助けてくれているので不安はない」と曽我ひとみさん。蓮池薫さんは「子供が帰ってからのことを考えると不安がないわけではないが、市や県、国が対応してくれると理解している」と話した。
 保志さんと薫さんは自立への青写真をすでに描いている。小浜、柏崎両市が嘱託や非常勤の職員への採用を表明していることも背景にある。
 「支援法の支援金だけで生活するわけにはいかない」と保志さん。具体的な仕事は未定だが、みなさんに迷惑をかけずに生活できるように仕事したい。市役所にお世話になる可能性もある」と話した。
 薫さんは「市役所で社会勉強をさせてもらうという意味で、いろんな施設の見学から始めて、市役所にお世話になってもいいという気持ちでいる」と話した。

被害者5人の2カ月


 拉致された5人が24年ぶりに帰国したのは10月15日。当初は「1〜2週間」滞在し、その後は北朝鮮に戻るという段取りだった。しかし、迎え入れた家族たちは「再び日本に帰れないかもしれない」と恐れ、政府に滞在延長を強く求めた。
 外務省は北朝鮮との信頼関係を崩すおそれがあるとこだわったが、安倍晋三官房副長官らが延長を主張。小泉首相が決断し、同24日、「家族も含めた被害者全員の永住帰国を求める」との政府方針が発表された。
 5人は当時、それぞれ「コメントを差し控えたい」などと短い談話を出しただけ。平壌にいる子供らへの影響を避けるためと見られていた。
 北朝鮮は10月末、クアラルンプールでの日朝交渉で「5人を戻さないのは約束違反」と主張し、物別れに。
 5人が決意をはっきり示したのは11月に入ってから。蓮池薫さんは安倍副長官らと自宅で面談した同5日、記者会見で「まず子供が日本に来て、それから永住帰国の問題に結論を出したい」と初めて表明した。





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