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《 総 統 雑 記 / 2003年後半 》




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2003/12/07 アムネスティ・インターナショナル日本主催の「人権パレード」に「人道介入」。


 RENK東京を代表して佐藤がアピール。金独裁の打倒と北朝鮮民主化を訴えたが、むしろ外国人参加者から大きな拍手が寄せられる。「嫌がらせ」などという生温いレベルではない圧制から逃れてきた難民たちには、「差別をなくそう」などというふやけたメインスローガンよりもむしろ「独裁を倒せ!」という私たちのアピールの方が深く共感できたようだ。  >>> 


 

2003/10/05 モーニング娘。『CONCERT TOUR 2003〜15人でNON STOP!〜』at 横浜アリーナ


15人。多い。もの凄いボリューム感。横アリのステージが全然広くない。


 

2003/09/30 映画『28日後…』を見る          


鬼畜かつ健全なるお買い得の一品だった。


 

2003/09/08 朝鮮総連中央本部、及び東京朝鮮文化会館への抗議行動


 午前中は朝鮮総連中央本部に対する糾弾闘争。警察の規制を振り切ってのトラメガ使用、さらには鉄門に取り付いたりビラを投げ入れたりと、「北朝鮮政治犯強制収容所解体運動本部」は極めて戦闘的だった。
 午後は北区十条の東京朝鮮中高級学校体育館(またの名を東京朝鮮文化会館)前で抗議行動。要塞のような「学校」(写真・中)を隠れ蓑に、「共和国創建55周年記念在日本朝鮮人中央大会」だの「金正日総書記の国防委員長推戴を慶祝する在日本朝鮮人中央大会」だのといった下劣なイベントが目白押しに挙行されていたが、その「共和国」と「金正日」によって殺されかかった脱北者たちはここでも怒りを爆発させる。私も「チャウシェスクの次は金正日だ!」「朝鮮学校は個人崇拝教育を止めろ」と糾弾し、格好の人権教育を施してやる。


 

2003/09/07 北朝鮮の強制収容所解体と脱北者解放を訴える東京デモ行進


 私が製作して差し出したアート作品「旗金」は、脱北者達によって嬉々として燃やされ、踏みつけられた。


 

2003/09/06 「闇の政治犯収容所に人権査察の光を!東京集会」に参加


 脱北者の証言によると、飢餓による犠牲者はまず老人達から出るそうだ。彼らが年少者に食糧を譲るために自ら死を選ぶからだ。だがそれでも子供達は生き延びることが出来ない。もちろんそれは、食糧援助が足りないからではなく、援助を含めた全ての食糧をゴロツキ独裁デブ・金正日とその一味が奪い取り、山分けし、たらふく食った上でその食い残しを、換金して核軍拡と従金慰安所の運営に使い果たしてしまうからだ。

要するに金正日体制の打倒こそが、唯一有効な人道援助にして最良最善の戦後補償なのである。


 写真左・中は、北朝鮮中部の山間地にある耀徳(ヨドク)収容所を写した衛星写真をもとに証言する元収容者で「北朝鮮民主化のための政治犯収容所解体運動本部」代表の姜哲煥(カンチョルファン)・安赫(アンヒョク)氏ら。

朝日新聞 >>>   かけはし >>>   守る会 >>>
   


 

2003/07/29 映画『ターミネーター3』を見る


 まったく存在する必要のない選挙用プロモ映画。『エイリアン3』もそうだったが、ジェームズ・キャメロンが作る不朽の名作の後に、それをブチ壊しにするゴミのような続編をいちいち作るんじゃねえ!。


 

2003/07/17 映画『バトル・ロワイアル2』を監査する             


 ゴミのようなヤクザ映画の続編は、やっぱりゴミのような全共闘映画だった。極限状況下での人々の抵抗を描いた美しい「原作」は、「コドモとオトナの対立」なんぞに切り縮められた末にテロ礼賛話にすり替えられた。要するに「ヤクザ映画屋」だの「七光息子」だのが、テメエの理解力や問題意識のサイズに合わせて物語を矮小化しやがったのである。結局自立できなかった息子が「3」を作るとか言い出す危険性は大。


 

2003/07/13 RENK東京討論会「北朝鮮危機をどう考えるか−不正義の平和は選ばない」


 問題提起を任され、「金正日体制打倒を目指す正義の戦争を覚悟せよ」とアジる。
 今の状況は、先送りで余計に傷を深くした「不良債権処理問題」と同じだ。「ヤミ金」にいくら利子を払っても問題は解決しない。ヤクザや暴力団絡みの事件は結局、「警察沙汰」にする以外ないのである。覚悟を決められずに決断を先延ばしにするほど日本も韓国も、将来そのぶん膨らんだツケを支払わされるだろう。もちろん自業自得である。