「バスガイド暴行魔」荒岱介の暴行自慢Vol. 2 |
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2000年12月からの「ブント清算事業団」ホームページの一般公開は、「デマぶんと盗聴集団」に深刻な打撃を与えているらしい。盗聴ブントは自派サイト( http://www.bund.org/ )のトップにわざわざ佐藤悟志のための特別コーナー「ブントは佐藤に困り果てている」(笑)を常設し(小泉純一郎をも上回る破格の扱い!)、我が事業団による「聖域なき構造改革」から逃れようと必死にあがいている。
だがその内容たるや、過去のデマ文書を再掲載しただけのお粗末な代物で、事業団HPが公開されてからの反論や新作文書は一つもない。組織的な佐藤攻撃自体は続けているものの、岱介一派の言論封殺体質を自ら証明するプロバイダ恫喝や、 一派構成員の下劣と臆病・無責任体質をさらけ出す「2ちゃんねる」での匿名中傷など、とても世間様にはお見せできない恥ずべき内容ばかりなのでこれまた自派サイトには載せられない。挙げ句の果てには事業団HPの「第一号ビラ」ページを丸写しして掲載し、かえって自派サイトへの「事業団」の浸食を許してしまうテイタラクである。
事実を武器に闘えば、一個人でも過激派セクトを追い詰めることができる。これがインターネットの醍醐味というものか。
さて、「ブント清算事業団」による暴露・告発の中でも、特に大きな反響を呼んでいるのが「バスガイド暴行魔・荒岱介の暴行自慢」である。なにしろ「荒岱介」をキーワードにグーグル検索( http://www.google.com/ )をかけると、いの一番に表示されるのがこの「暴行自慢」とその上の「荒岱介経歴」のページなのである。グーグルは「分析によって高評価を得た重要なページ」順に表示される検索システムだそうだから、この表示結果は「事業団」による暴露が「荒岱介」について検索する人々の最も大きな関心を呼んでいることを意味している。
つまり、荒がどれだけ知オタクよろしく現代思想についての半端な知識をひけらかし、「次は環境革命だ」などと流行りのお題目によるキャッチセールスを企んだところで、しょせんは暴力と性差別に耳まで浸かった典型的な全共闘オヤジでしかないことの端的な証拠が、ネットにアクセスすれば誰でもいつでも何処からでもたどり着いて見られる場所に公開されているのである。もはやマトモにものを考えられる人間が、荒岱介なんぞに耳を貸すことはないだろう。あとは同類相手にらちもない「ばとる・とーく」を繰り返すか、居場所のない若者相手に「ゴーマン」ぶって自分を慰めるしかない。身から出た錆とは言え、哀れな老後である。
だがしかし、それでも批判に対して真摯に向き合い、自分の過去を恥じて誠実に謝罪と反省を行うのであれば、世間の評価も少しは挽回できるはずだ。
それでは荒は、あるいはその子分どもは、この「バスガイド暴行事件」に対して一体どのような謝罪や反省、総括を明らかにしているのだろうか。
最近聞いた話によると、この事件について市民から追及された一派の活動家は、なんと「荒さんは反省しているし、過去における過ちを正直に告白したんだから偉いと思う」と答えたそうである。目を輝かせて首領様を讃える様子が目に浮かぶようなセリフ回しだが、相変わらずのペテンと言う他はない。「暴力」の次は「ペテン」が来る。ロフト事件でもお馴染みのパターンである。
バスガイド暴行魔の自白と「反省」
まず第一に、1999年9月、つまり本橋信宏氏によるインタビュー集『悪人志願』が発行された時点で荒岱介は、何の罪もないバスガイドを殴ったり機動隊との激突で死人が出たりしたことを「おもしろかった」と語っているわけだが、もちろんこれは「反省して過去における過ちを正直に告白した」などと言える言辞ではない。荒はこの認識を「バスガイド暴行事件」を引き起こした1967年から99年まで、実に32年間に渡って維持していたわけである。外部ライターのインタビューで得意げに披露するくらいだから、組の幹部や近しい人間に対しても嬉々として自慢し続けてきたのだろう。そしてそれを周囲は「おもしれえ!」と嬉々としてもてはやすだけで、常識的な批判を具申する人間はただの一人もいなかったのだろう。
で、第二にこの荒岱介が「バスガイド暴行事件」に言及するのが、2001年2月に出した失笑的自分史本『破天荒伝』である。ではそこでの言及は、「反省して過去における過ちを正直に告白した」と言えるようなものだろうか。以下にその記述を引用する。
指示されるままに、私は中大の前田裕一や花園紀男と高速道路をひた走った。逃げる機動隊を追いかける格好で、何百メートルか走ったと思う。
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ところがである。どこまで行っても、羽田空港が見えるはずの六郷土手にたどり着かない。
懸命に走っているうちに、ちょうど対面から観光バスがやって来た。
「おーい、待てっ!」
ゲバ棒をかざして私はバスを止めて「羽田はどっちだ?」と、バスガイドに聞いた。
「……あ、あっちです」と、顔をひきつらせたバスガイドさんが言う。彼女が親切にも指さしたのは、私たちがこれまで走ってきた方角なのである。全然ちがう方角に走っている?
「何ぃ、ふざけるな! お前は権力の手先か」。思わず手が出て、私は親切なバスガイドさんをひっぱたいてしまった。
なにぶん興奮していたもので、今考えると申し訳ないかぎりだ。
ここでようやく私たちは気がついたのだった。玉井が「左だゾ!」と叫んだのは、機動隊が逃げた方角を指したにすぎなかったのである。そうであったとしか思えない。
万事休す。方角を間違えたのだ。見ると、私たちが走って来た方向から、後続のゲバ棒を抱えた大部隊がワラワラと殺到している。
(荒岱介著、太田出版発行、『破天荒伝』、62〜63頁より。
太字化は佐藤)
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確かにここでは新しい事実が自白されている。荒は単にバスガイドを殴りつけただけではなく、正直に事実を述べただけのバスガイドに「ふざけた権力の手先」というレッテルを貼りつける「冤罪事件」まで引き起こしていたのである。この手のデッチ上げで無実の市民や政治的反対者を延々と葬り去ってきた共産主義革命運動の歴史と伝統を忠実に引き継ぐ悪質な政治犯罪の開陳だが、「今でも多くを書けない暗闇の部分がある」(『破天荒伝』、138頁)などと自分で言っているくらいだから、まだまだ他にも余罪がありそうだ。
で、この自白に続く荒の言葉が、「なにぶん興奮していたもので、今考えると申し訳ないかぎりだ。」である。これが果たしてブント構成員の言う「反省して過去における過ちを正直に告白した」言葉なのだろうか?。
例えば6月29日に沖縄県北谷町美浜の駐車場で20代の女性が暴行された事件で、犯人として米空軍嘉手納基地所属の二等軍曹ティモシー・ウッドランド(24)が 逮捕された。「ブント」機関紙『SENKI』第1049号(2001年7月25日発行)には、「五味洋」を始めとするバスガイド暴行魔の直弟子たちが、この事件に抗議して米国大使館前で騒ぎ回ったという記事が載っている。
で、だ。この抗議に対してティモシー・ウッドランドが、「いやーなにぶん下半身が興奮していたもので、今考えると申し訳ないかぎりだ」と言ったとして、或いはそんな手記を書いたとして、ブントの諸君は納得して帰ったのかね?。そして「ティモシーは反省して過去における過ちを正直に告白したから偉いと思う」と、首領様と同様に崇め奉ったのかね?。「ふざけるな!、それが真剣に反省した者の言葉か!、あの世で償ってこいやコラァ!」と、怒りを込めて糾弾すべきではないのかね?。
ちなみに、何の罪もない通りすがりの女性を捕まえて殴りつけることを32年間も「おもしろかった」と思い続けてきた全共闘オヤジが、どうして1年半後に突然「申し訳ない」などと言葉だけでも口にするのか?。それはもちろんその間に「ブント清算事業団」HPの一般公開(2000年12月)と、日本における「事件」への唯一の公然批判『バスガイド暴行魔・荒岱介の暴行自慢』の発表があったからである。
つまり、取り巻きのおべっか使い連中がとても口にしないような、手厳しいがそれ自体はまっとうで常識的な批判が「事業団」によって行なわれたからこそ、荒岱介は「反省」できたわけで、その荒が「偉い」のなら、荒に反省の機会を与えてやった佐藤悟志はもっともっと「偉い」ということになるはずだが、荒岱介とその子分どもはどうしてその佐藤を「偉い」と誉め讃えず、反省の機会を与えたまさにその当該ぺージ『バスガイド暴行魔・荒岱介の暴行自慢』の存在を理由に、「事業団HPを削除・閉鎖しろ」などという恫喝をプロバイダに対して行なうのか。( 『いわゆる「ブント」に対する1・26通告』参照)
それはつまりこの「反省」が、結局は口先だけのポーズでしかないからである。佐藤による告発の社会的政治的影響力が無視できない間だけ、人々の批判を頭を低くしてやり過ごせばいいと思っているからである。
暴行魔一味の撲滅と解体を!
最後に、『破天荒伝』の記述をテキスト化しながら改めて、「ブント清算事業」の重要性を認識させられたことを報告しておこう。なにしろ「ブント」運動とは、まさにこの「バスガイド暴行魔」の指導のもと、武装蜂起による暴力革命を目指す運動なのである。荒岱介も表向きの「ぱらちぇんヅラ」とは裏腹に、陰では「オレたちは武装蜂起を捨てたわけじゃない」(1997.7.8 ロフトプラスワン)などと公言している。
幸いにして警備公安警察のおかげでその妄動は封じ込められてきたが、もしもそうした治安当局の尽力が実らずに、「ブント」による武装蜂起が起こっていたら一体どうなっていたか。以下のような事件が起きるであろうことは容易に想像がつく。
自動小銃をかざして私はバスを止めて「羽田はどっちだ?」と、バスガイドに聞いた。
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「……あ、あっちです」と、顔をひきつらせたバスガイドさんが言う。彼女が親切にも指さしたのは、私たちがこれまで走ってきた方角なのである。全然ちがう方角に走っている?
「何ぃ、ふざけるな! お前は権力の手先か」。思わず手が動いて、私は親切なバスガイドさんに自動小銃を連射した。バスガイドさんは全身に小銃弾を浴び、バスの窓を突き破って道路に転がった。
なにぶん興奮していたもので、今考えると申し訳ないかぎりだ。もちろんさらに正確に予想するならば、「申し訳ない」などという言辞が吐かれることもないだろう。なにしろ武装蜂起で盗聴ブントが権力を握った暁には、米帝その他との革命防衛戦争が待っているのである。そんな「重要な時期」に革命指導者の誤りを認める記述をするはずはないし、それを追及する報道を許すわけもない。「権力の手先」にされて撃ち殺されたバスガイドは、結局「ロフト事件」の時と同様のデマ宣伝で二重三重に「権力の手先」に仕立て上げられるだろう。その「権力の手先」を瞬時に見抜いて射殺した荒岱介の行為は、まさに英雄的な革命指導部の偉大さを物語るエピソードとして、「人民の新しい歴史教科書」に掲載されるだろう。バスガイドの家族はわけも分からぬまま人民裁判にかけられて糾弾され、三角帽子を被せられて市中を引き回されるだろう。現場に居合わせたバスの乗客は死ぬまで労働キャンプに監禁され、事実を告発しようとしたバスの運転手は「反革命陰謀罪」で処刑されるだろう。首都高の現場には事件の「事実関係」が刻まれた革命記念碑と荒岱介の巨大な銅像が建てられ、外国からの訪問者が拝礼を強いられるだろう。
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とりたてて難しい想像ではない。かつてソ連や東欧で当然のように行われ、そして今も中国や北朝鮮で日常茶飯事として続いている、権力犯罪と政治災害のありふれた情景。もしも盗聴ブントが「勝利」していたら、こうした「文化大革命」じみた情景が日本でも現出していたのである。いや現在でも、その危険性はごくわずかながら残されている。
「バスガイド暴行事件」。そして未来の「バスガイド射殺事件」。こうした政治災害から無辜の人々を防衛し、自由と人権という人類普遍の価値を守り育てることは、まさしく現代における「正義」そのものであり、それを踏みにじる盗聴ブントを始めとした勢力から社会を守ることは、まさしく「聖戦」以外ではない。人権ファシストとしてその聖戦の大義を信じ、人類必勝不滅を信じて、佐藤悟志は今後も戦い続ける。自ら選んだ任務を果たすためならば、たとえ盗聴ブントごときと刺し違えることになっても構わない。
少なくとも、目の前で女性が暴行されているときに何も言えず、止めることも告発することもできないような、そして下手人の暴行オヤジに依存しなければ生きられないような、そんな惨めで浅ましい人生に比べれば、百倍程度は自慢できる人生になるだろうしね。