《 総 統 雑 記 / 2001年後半 》




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2001/12/19 『プッチベスト2』を買う


狂った曲、狂った歌詞、狂ったアレンジに狂った衣装、狂った振り付けに狂ったメンバー。
2001年つんくP最大の仕事が、超弩級の破壊力で日本全土を揺るがした「三人祭」だったことを再認識させられる狂ったアルバム。



 

2001/12/10 「市井紗耶香with中澤裕子」ライブ 『FOLK DAYS』at 渋谷AX


この日、渋谷は聖地になった。離れて見れば、建物から発した光が天空の雲間に届く柱となって立ち昇っているのが見て取れただろう。
昼公演で「市井紗耶香なんて知らなかった」と口走って会場中からブーイングを浴びたばんばひろふみが、夜も同じネタをやって愉しそうにブーイングを浴びている。しかもその後のデュエットには盛大な「ばんばコール」が。
ステージの上からも下からも、人間の優しさが最大限に引き出され、幸福感が満ち溢れている。こんな奇跡的な空間を形成し得る、市井紗耶香及び市井ヲタの人徳に驚嘆。



 

2001/11/29 『FOLK SONGS』by「市井紗耶香with中澤裕子」を買う


「君のくちびるがさようならと動くことが こわくて下をむいてた」という『なごり雪』をあなたは唄っているけれど、でもその「こわさ」のことを、あなたは本当に分かっているの?。
「君が去ったホームにのこり 落ちてはとける雪を見ていた」と歌うあなたは、「君」に去られた者の気持ちを本当に分かって歌っているの?。
どうなの。市井さん。



 

2001/11/21 タンポポ 7th Single『王子様と雪の夜』を買う


11.3 横アリで初めてこの曲を聞いたときに思い出した新聞記事



 

2001/11/14 プッチモニ 4th Single『ぴったりしたいX'mas!』を買う


よっすぃーとつるんで圭ちゃんをからかい、頭をはたかれている時のごっちんが一番可愛いことに議論の余地はないが、クイズで米大統領の名前を聞かれて「ソビエト!」とか口走るよっすぃーの「頭の中」が、「彼氏」などという可愛らしい代物で占められているかどうかについては大いに議論の余地がある。ていうか、もっと何か恐ろしいものが詰まっているはずだ。ナマコとか。



 

2001/11/01 『モーニング娘。矢口真里のallnightnipponSUPER!』


 冒頭、先週の放送についての矢口の謝罪で始まる。視聴者からの葉書やメールを番組側が紛失したためプレゼントが送れなくなったという不手際をディレクターが番組内で謝罪したのだが、その謝罪の最中に矢口がツッコミを入れたりクスクス笑ったりした行為に、ネット上などで「常識がない」だの「ふざけ過ぎ」だのといった批判が巻き起こったことに対応したものだ。

   判 決  >>> 



 

2001/10/31 モー娘。13th Single『Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜』を買う


まるでゴラクだの実話だのといった成年誌のホスト漫画から抜け出てきたかのようなよっすぃーの男前にドッキドキLOVEメール!!。
後ろで縛った長髪と白のスーツ姿が超クール。髪を両側に垂らしたごっちんの赤いスーツ姿も決まってて、源氏名で言えば「竜馬」と「隼人」といったところか。気取り具合が絵になるなっつぃは「武蔵」ってことで。
ステージング自体もオカマバーのショータイムみたいで華麗かつ愉快。こんなカッコイイ店員がいるオナベバーを見つけたらヘテヘテの私でも思わず通い詰めてしまいそうな気がするんだけど、これってゲイバーに入り浸るオコゲ女の気持ちと同じなのか?。



 

2001/10/21 テレビ東京『ハロー!モーニング』&『MUSIX!』


朝/ハロモニ
突然市井紗耶香のコメント映像が流れる。一年半ぶりの動く紗耶香の姿に感涙。
夜/MUSIX!
12針縫った右足を引きずりながら収録に現れた紺野あさ美が、それでもマネージャーに「大丈夫です」と言い続ける。その姿にプッチモニ合宿の時の紗耶香を思い出してまた涙。



 

2001/10/17 モー娘。ミュージカルDVD 『LOVEセンチュリー』を買う


あたかも竜宮城に招かれたかのようだった、日生劇場での幸福な時間を思い出す。
「ハードトレーニング」の場面でなっつぃが青狼会Tシャツを着ていたことも再確認。



 

2001/10/11 メロン記念日 4th Single『This is 運命』を買う


ついにメロンがキタ!



 

2001/09/27 浜崎あゆみ 24th Single『Dearest』を買う


歌詞カードの背景写真がいい。

荒涼とした原野に、三枚羽の風力発電塔が無数に立っている。袖口まで覆う長い服を来た彼女の、手を振りながらその間に分け入っていく後ろ姿が写っている。

他に誰一人見えないその風景は、一見寂しげで彼女の孤独を思わせる。しかし本当にそうだろうか。
無数に立つ風力塔にはもちろん心も魂もない。だがそれは確かに人々の労働の産物であり、であるが故に誰かの人生の一部を物質化したものであり、つまりは誰かの存在そのものを表しているのである。

その結実は日々立ち続け、ただクルクルとその三枚羽を回転させ続ける。そしてそこから生み出される電気は日々誰かの生活を潤し、誰かを育む支えとなり続ける。

我らがミニモニ。は、人間最後は星になるのだと歌ったが、「人間は死んだら風力塔になる」というのも美しいかもしれない。墓地に墓石を建てる葬式の代わりに、荒野に風力塔を建てて骨を収める「風力塔葬」というのはどうだろう。
少し費用が高くつくかもしれないし、墓参りに行くのも一苦労かも知れないが、それでもその程度の労苦を経てたどり着いたとき、故人が風力塔となって電気を生み出し続けている光景は、幾ばくかの癒しを、見る者に与えるのではないだろうか。

 浜崎もまた風力塔のように、人々を支えながら立ち続けている。  >>>



 

2001/09/12 ミニモニ。2nd Singleに必死で反論

「 誰かをにくんじゃいけません 
  明日は今夜の続きです    
  地球のどこかで生まれた   
   人間最後はお星さん     」

 『ミニモニ。バスガイド』 ミニモニ。



なにい!、ええ!、う〜ん、困ったなあ〜。

「誰かを憎んじゃいけません」だって?。そんなことをこのオレに言われたって ムリに決まってるだろ。
およそ人間観や人生観の半分を偉大な文学者・西村寿行の著作で形成してきた、ルサンチマンこそ人間の証し、復讐こそ人間の最も高貴な行いと考えるこの私に人を憎むな、だって?。

うむむむ。困った。支持政党の路線変更についていけないぞ。困った困った。
う〜〜ん。ちくしょう。だんだん腹が立ってきたぞ。
だいたいそんなこと、真里っぺに言われたかねえ。
じゃあアンタは誰でも愛せるのかよ。オタクは嫌いじゃないのかよ。

うそだ。そんなことないだろ。じゃあどうして夏のハロプロ/代々木体育館で反応してくれなかったんだよ。スタンド最前列・最ステージ寄りの席で、DJマリーのコスプレでさんざん跳ね回ったのに、一度もこっちを見ようとしなかったじゃないか。キショいモーヲタなんてホントはお呼びじゃないんだろ!。

モー怒った。可愛さ余って憎さ百倍だ。こうなったら矢口真里糾察隊だ。アンタのキライなゴキブリの着ぐるみを被ってアリーナ最前列で踊ってやるぞ!。それともマツボックリの着ぐるみを被って、なっつぃを脅かしてやろうか。
(うたばん石橋風に)「ボックリ星人ダゾ〜。ボックリ*2〜、ボックリ*2〜」

ちょっと天才だからって、頭の回転が速いからって、社会性があって気が利いて、よく喋れて可愛くて、バックに中澤裕子がついてるからってエラソーにスルナ!。そりゃアンタみたいなスターは死んだら星になるかもしれないけど、オレみたいな過激派クズレは死んでもゴミになるだけなんだよっ。それでもなんとか社会の役に立とうと一生懸命ゴミ掃除してんだからいいじゃないかッ。放っといてくれよッ。

 もういい。ミカでいい。米帝万歳だ。星条旗よ永遠なれだ。



 

2001/08/10 『火垂るの墓』(1988年、高畑勲監督)を見る


 勘違いしやすい構成ではあるが『火垂るの墓』の結末は、大東亜戦争が招いた結果、ではない。両親をなくした兄妹が親戚に引き取られるなんて話は、平時にだって幾らでもある。では一体全体、何が原因であんな結末へと至ってしまったのか。
 それは結末までの経緯をきちんと分析すれば自ずと分かる。あの結末は戦争が導いたものではなく、明らかに「革命運動」が招いた結果である。

 結末を回避する方法や機会はいくつもあった。そもそも親戚の家から出るべきではなかったし、農家のおじさんも親戚の家に戻るように忠告してくれていたはずだ。
 では兄は、どうして頭を下げて戻ろうとしなかったのか。隣組に居なければ配給さえ受けられないのに。自由?。独立?。人としてのプライド?。まさに革命的な情動ではある。だがそんな代物につき動かされなければ、あんな結果は招かなかったはずである。そりゃ妹は泣いたり喚いたりしたかもしれないが、妹だけなら家を出ることは出来なかったはずで、先頭に立って「革命」を唱導した兄の政治責任は重大である。野坂昭如が自分を責め続けるのも、けだし当然と言わなければならない。

 今回見て改めて気付かされたのは、北朝鮮の現状との驚くほどの類似性である。

 例えば妹を医者に診せに行く場面がある。「滋養なんか何処にある」と怒った兄は、なんとその後で三千円もの貯金を降ろす。食糧が不足していたのではなく、呆れるほどに経済運営が稚拙だったのである。

 ただし決定的な違いも存在する。「自主・自立」革命を先導した兄は潔く妹と運命を共にしたが、ゴロツキ独裁デブ金正日は人民に膨大な犠牲を強いながら、自分は文字どおりブタのように肥え太り、独裁維持に血道を上げて飢餓と抑圧をもたらし続けている。



 

2001/07/25 モーニング娘。12th Single『ザ☆ピース!』を買う


 『ザ☆ピース!』の華麗なステージングを見て思う。もしかしてモー娘はSPEEDを超えつつあるのだろうか。少なくとも、9人が乱舞するパフォーマンスのボリューム感はMAXにもDA PUMPにも出せない代物である。かといってジャニーズJr.が対抗できるかと言えばそれもムリ。何故なら集団が同じ動きをするだけのパフォーマンスとは違ってモー娘のそれは、全員が主役級のキャラを備えた上で、持ちネタや小技まで割り当てられているからである。いわば群舞でありながらソロでもある構造。あえて例えればタカラヅカか?。入り乱れる全体の動きにも一人一人の表現にも魅せられる。



 

2001/07/11 浜崎あゆみ 23rd Single『UNITE!』を買う


 浜崎あゆみは「無常」を歌っているとよく言われるが、それだけならここまで佐藤が惹かれることはなかっただろう。
 もちろん「無常観」は浜崎世界の重要なポイントである。触法精神障害者が通行人を切り刻んで無罪になったり、哀れな難民を狩り立てて収容所国家に強制送還し続けている国の人民がたかだかオリンピック会場に選ばれたぐらいで「日本軍の南京攻略を祝う提灯行列」そっくりのバカ騒ぎを繰り広げたりする狂った時代に、その不条理や虚しさを描写し表現する仕事は、無内容な説教や脳天気な観光宣伝を並べる脳足りんバンドの騒音など足下にも及ばないほど重要である。

 だが彼女の表現の重要さは、そうした無常観が、同時に正義や愛情への希求を失わずに併存している点にある。単に無常な現実を歌うだけではなく、無常への抵抗、無常との闘いをこそ、彼女は歌い続けているのである。

 知能の欠如を示すだけの頑張れソングでもなく、エゴやシラケを正当化する腐敗した居直り音楽でもない、あくまで人として優しく正しい道を歩み続けることを誓い訴え続ける浜崎あゆみのスタンスは、当然にも多くの挫折や困難が予想される危うい道でもある。
 しかし、だからこそ彼女の歌は、正義や理想を希求する多くの人々の胸を打つのだろう。たとえ彼女がその闘いに敗北し、ディートリッヒ・ボンヘッファーのような惨めで哀れな死に様を晒したとしても、その挑戦の価値が失われることはない。


「自由を右手に 愛なら左手に 抱えて歩こう 時にはつまづきながら」